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福島原発事故の賠償問題を考える

2011年10月12日

賠償は誰の責任か?

国益と金融リスクの点から考える

(以下は、エコノミスト臨時増刊号2011年7月 に記載された記事の原文です。)

天災と人災

 東日本大震災から百日を超えた。東京電力福島原発事故の収束はいまだに目途が立っておらず、処理に時間がかかればかかるほど、当然、復旧・復興コストはかさんでくる。

 政府は3月23日に、この大震災で損壊した設備や道路などの直接的な被害総額を16~25兆円とする試算をまとめた。しかし、この金額には福島原発事故やそれに伴う東電の計画停電、広範囲に及ぶ放射能汚染や風評被害、退避による損害などは含まれていない。

 政府関係者は、地震と津波の天災に誘発された原発事故に関しては「人災」とし、東電がその責任を負って当然という発言をしている。一方、財界からは、米倉弘昌経団連会長は、原子力行政は政府の推進政策のもとに成り立ってきたことから、今回の原発事故は一民間企業が負い切れないリスクと判断して、東電ではなく全面的に政府が責任を負うべきだと、発言している。

 天災に関する賠償や補償については、過去の事例や統計から保険金額は確定しやすい。しかし「人災」とみなされた場合、政府が東電の経営責任を問い質し、損害に対して裁判所でしかるべき補償・賠償を要求することになるのだろうか。

 一民間企業に損害賠償を求めたケースとしては、薬害エイズや水俣病などの集団訴訟があげられる。裁判では、どのような損害をどの程度、誰にもたらしたかを証明できないと賠償額の算定根拠が明らかにならず、金額も特定できない。政府が福島原発事故を東電による「人災」とみなした場合、日本が法治国家である限りは、一定の法的手続きのもとに被害者への救済を行うことになる。

法的側面:裁判で東電による賠償額の確定は可能か

 福島原発事故を「人災」と認定し、損害賠償額を裁判で確定する場合、おそらく賠償額は日本史上最大規模となるとロイター(4月4日付け)は報じている。しかも今なお放射能汚染が続いているので、弁護士ら専門家ですらその手続きはまだ特定化できていない。

 原子力がらみの事故では、過去に1999年の東海村臨界事故があり、「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」(1961年制定)に基づいて賠償が行われた。原賠法の枠組みを今回の東電のケースに適用するかどうかについては、原子力損害賠償紛争審査会が7月中旬に原子力賠償の全体像について中間指針を取りまとめる予定である。

 仮に適用する場合、損害賠償額について政府試算は4兆円、うち東電負担分2兆円と言われている。しかし、これは東電の震災前の自己資本の約8割にあたり、東電の負担能力を超えている。東電は実質的な債務超過に陥る可能性が高い。

 さらに、福島原発事故はいまだ収拾のめども立たず、農作物への風評被害をかんがみ、福島県からの避難民に対する差別などその精神的苦痛も含めれば、損害賠償額は時間がたてばたつほど膨大なものになり、その因果関係や事実認定などの損害の客観的証明はますます困難になり、賠償額の確定に至るまで混乱した状況になるだろう。

 原賠法を東電に適用する場合、原子力事業者の「無限責任」としながらも、「免責事項」(注)の解釈が争点となっている。具体的には、今回の福島原発事故について「巨大な天災地変又は社会的動乱」をどう解釈するかという点である。同法の制定時に想定した「巨大な天災地変」とは「関東大震災の3倍規模」であり、今回の福島原発はそれに当てはまるという解釈がある一方で、政府は、「人類の予想しないようなもの」すなわち隕石のような天災地変でなければ適用されないと解釈しており、真っ向から対立している。

(注)「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」(原子力損害賠償法3条1項)

 日本同様、原子力事業者に無限責任があるとしている国として、ドイツ、スイス、カナダ、韓国などがあげられる。こうした国は、国家補償制度があり、非常時に政府が最終責任を負う仕組みがあり、政府が支援の意思を明確に示している。日本の場合は、本当の非常時に、政府が第三条但し書きの解釈を盾にとって賠償に応じようとしないとなれば、補償制度そのものが骨抜きになってしまう。

「もし、スイスで同じような原発事故が起きたならば」という想定で、ジュネーブ大学のヴァルター・ヴィルディ教授は今回の福島原発事故の損害額を4兆フラン(約366兆円)と見積もっている。

 ヴィルディ教授は、1995年からジュネーブ大学の地質学教授を務め、97年から2007年までスイス政府の原子力安全委員会のメンバーとなり、02年から07年まで同委員会の委員長を務めた。ヴィルディ教授は『スイスインフォ(Swissinfo)』とのインタビューで、賠償金について「同じことがスイスで起これば、電力会社が避難した人などへの補償金として保険から1.8億フラン(約165億円)を払い、差額は政府が受け持つ。日本ではおそらく東電は支払えないだろうから政府の負担になるのだろうが、それが巨額なため自主避難要請にしたのではないかと推測する。避難しようとしまいとそれは個人の責任だということだ」と述べている。(4月5日付け記事)

 366兆円という天文学的な数字は何を根拠にしているのか。おそらく、原発事故以前の姿にもどす、原状復帰にまでかかる費用かと推測する。つまり、原発事故によって失われたすべての損失を補てんし、放射能汚染の除去や土壌の入れ替えなどあらゆる環境整備、クリーンアップ・コスト、さらに、退避で家や職を失った個人や会社のすべての機会損失分の所得保証を含む、風評被害など証明可能な損失額も考慮する。

 ざっくりと計算すると、09年度の日本全体の実質GDPが526兆円で、東北地方のGDPは全体の8%、42兆円である。この補償を10年続ければ420兆円となり、ヴィルディ教授の試算額と近い。国が全ての責任を負えば、放射能汚染がなくなるまでの10年、20年の長期にわたり、巨額のコストを払い続けることになる。その費用は国民の税金である。今でも巨額な財政赤字を抱えているのに、それほど巨額の補償をすれば国庫は破綻する。政府の規律ある判断が遅れる状況を、金融市場は「日本リスク」とみなし始めている。

信用リスクの側面: 金利上昇圧力と金融危機

 元ムーディーズで電力業界のアナリストを務めた森田隆大氏は、福島原発事故に対して政府補償が機能しなければ、信用リスクの点から、他の電力会社、ガス、財投機関、地方政府の信用評価に多大な影響があると警告する。金融市場へのインパクトを考慮する必要がある。

 ムーディーズ社で初めて東電の格付けを行った森田氏によれば、これまで日本の電力会社が高格付けを保った理由のひとつに、「日本の電力会社の経営環境は適正な規制に守られ、安定しており、国のエネルギー政策において原子力推進を掲げていることから、非常時には当局のサポートが期待できる」という点がある。だからこそ、財務体質は弱くても、事業リスクが極めて低いという判断から、電力会社は高い信用力を誇ってきた。

 ところが、政府関係者が銀行に対して東電の債権放棄を促すような発言をしたり、経営形態変更の可能性について言及したことで、政府・規制当局の行動予測可能性・信頼性を前提としてきた電力会社やその他公益法人などの信用力に対する不確実性が増大した。現在、原子力に対する国のサポート姿勢は劣化したと認識されている。

 実際、ムーディーズは5月16日に、東電シニア有担保格付けをBaa1からBaa2へ、長期発行体格付けをBaa1からBaa3へ格下げし、さらに見直しを継続することを公表した。日本国債、ソブリン格付けも引き下げ見通しで検討している。

 信用リスクの高まりは金融市場での資金調達コスト上昇に連鎖する。悲観的なシナリオとして、資金調達が困難→財務体質はさらに悪化→信用力低下という悪循環も想定できる。政府の恣意的な発言や決定が日本リスクを高め、復興を遅らせるどころか、日本の財政・金融を圧迫し、電力に限らず企業の成長を著しく阻害することのないよう進むべき方向性をきちんと打ち出す必要がある。

 ただ、東電を破綻させることができない理由として、金融市場へのインパクト、金融不安を持ち出すことには違和感がある。債務超過必至の東電の処理は粛々と行うべきであり、それは日々の電力供給事業をストップさせずとも可能である。JALは法的破綻後も、航空事業は続いている。

 そもそも福島原発事故は東電だけの問題にとどまらず、電力業界全体の再編を促すことになるかもしれない。その一歩が東電の処理だ。民事再生法の下で処理をする場合、債権整理だけで大変な手間と膨大な時間のかかる手続きが予想される。そこで、スピーディーな処理のために、一案として国が復興インフラファンドを用意し、東電の資産をいったん中立的な受け皿に入れる。

 その際、放射能汚染という国民の生命に直結する最大のリスクが伴う事業である原発については政府が買い上げ、原発を継続するのであれば100%政府の責任を明確にして再開すべきであろう。また、原発を停止するのであれば、原子力を代替する発電設備に積極に投資し、早期に安定供給体制を確立するのが望ましい。そのためには、ファンドがリスクマネーを供給し、新規の発電設備を早急に建設すべきであろう。いずれを選択するにせよ、今後、政府にも電力業界にも厳しい経営規律が求められる。

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